とある新人のブラック就労記 その17
「では、不肖わたくしめが、乾杯の音頭をとらせていただくのであります!」
そうおどけて言ったのは、日野さんだった。
ガチガチにワックスで固めたトゲトゲした頭と鋭いギョロ目と三白眼。ラグビーでもやってそうな逆三角形の体型と、とにかく大きい胴間声。
威圧感たっぷりの彼は、新人くんの同期であるオタクの直属の上司で、開発部の上長代理らしい。
新人くんが携わっているプロジェクト(Aプロジェクト)に間接的に関係のあるプロジェクト(Bプロジェクト)のリーダーだったため、強引に今回の飲み会に参加したらしい。
「では、かんぱーい!」
会社の経費を使った正式な打ち上げなため、それなりに参加人数が多かった。
Aプロジェクト側は長谷さん、鈴木さん、八九寺さん、新人くん、ムッツリ。
Bプロジェクト側は日野さん、平田さん、松井さん。
平田さんと松井さんは最初からBプロジェクトにアサインされていた、プロパーのベテランの開発らしい。
ちなみにオタクは早く帰りたいからと断ったらしい。
そんな感じのメンバーなため、新人くんは一人隅っこでビールをちびちびと飲んでいた。
聞こえてくるのは誰々が使えないとか、客先の誰々はアホだとか、外注の誰々はダメだとか、そういう悪口ばかりだ。
知っている人間の名前ならば気を悪くするかもしれないが、新人くんにとってはどの名前を聞いてもピンとこなかった。
同期のムッツリはというと、今回は酒を自重しながらひたすら食べ物を取り分けてお酌をしていた。
――営業の下っ端は辛そうだ。
新人くんも少しは協力しようと、皿を手に取り誰も食べない大根サラダややたらとボリュームのあるタルタルソースがかかった南蛮揚げなどを取り分けた。
「あー、いいよいいよ。ウチに気ぃ遣わなくてさ」
そう言ったのは八九寺さん。
もしかして大根サラダが嫌いなのかも、と思った新人くんは差し出そうとした取り皿を結局自分のところに置く。
もしゃもしゃとサラダを咀嚼するぐらいしかやることがない。
別に会話で盛り上げるよりは楽だからいいのだけど、さすがに何もしゃべらないと居心地が悪い。
なにか話題を、と思って鈴木さんを見ると凄い仏頂面だった。
いわゆる飲みニケーション色の強い飲み会に強制参加させられた鈴木さんは最初から機嫌が悪いようだ。
長谷さんとムッツリは席を変えながら酌をしたりされたりと忙しそうで、残るAプロジェクトの開発メンバーは隅で固まって人気のない料理をつついていた。
「なんだなんだ、ここだけお通夜か?」
そう言ってビールジョッキ片手に新人くんの隣に座ったのは、日野さんだった。
少しジョッキが空いていたので、お作法通り、新人くんはビール瓶で日野さんのビールを注ぎ足す。
「おうおう、飲みねぇ、飲みねぇ」
お返しに新人くんのグラスにもなみなみとビールが注がれる。いくら飲んでも減る気がしない。
「噂は聞いてるぜぇ? 新人、かなりヤるってな?」
肩を掴み、体を揺らされる。なんというか、日野さんはど真ん中昭和飲みニケーションなおっさんだった。
なにを言っているのか半分くらい理解できない話題にひたすら頷きつつ、誰も食べない目の前の料理を減らしていく。
そんな飲み会。
ビールの飲みすぎで酔いというよりもおなかがタプタプになった新人くんがトイレに行こうかどうしようか悩んでいると、日野さんがドンッとテーブルにビールジョッキを置き、みんなの注目を集めた。
「そうそう、さっき長谷とも話したけどな。Aプロはもう軌道に乗ったから、人減らすわ」
「は、はい? きいてないですけど?」
驚きの声をあげたのは八九寺さんだった。
「次の現場、鈴木が会社居残りで、新人が現場組な。営業も足りねぇから、一人で行ってこい。八九寺は来週からBプロな」
そんな唐突もない重大発表に、誰も声をあげなかった。
いや、あげられなかった。
言葉を失う、という表現があるけど、実際、こういうことなのかと、その時初めて新人くんは思った。
「次はー、どこだっけか。あ、そうだ、舞洲な、舞洲。大阪の。よかったなー、たこやきとか食べられんぞ! ガンバレ! 新人!」
大変なのは始まったばかりだった。
――新人くん、初デスマーチ編終了――