とある新人のブラック就労記 その7

20××年八月某日。

蒸し暑い気温が続く日々。節電奨励の世の風潮もあり、エアコンの温度が28度設定のフロアはサウナと言わないまでも、じっとしてても汗をかく暑さだった。
そんな中、社内ではある会議が行われていた。

――アサイン会議。
新規プロジェクトを立ち上げたときに、誰をその担当にするか、を決める会議だ。
その中で、新入社員の面倒を見ていた人物ということで出席した八九寺さんが、大声を上げる。

「だーかーらー! 新人はうちのプロジェクトに必要なんですよ!」
「こっちも人足りないんだ。みんなプロジェクト複数抱えてて、アサインできる人がいない」
「はぁ!? 新入社員がいらないからって、無理やりこっちに全員アサインさせたのはそっちでしょう!? それを使えそうな奴だけ引っこ抜くって、そりゃないですよ!」
「八九寺、少し落ち着け」
「いーや、落ち着いてます。あのですね、ウチのプロジェクトが進捗大幅に遅れてるの知ってますよね? 適当な仕様でオフショアしたソースの修正、経験年数詐欺でまるで役に立たない外注の無駄な教育、更には助成金目当てのOJTもぶち込んでくる。唯一まともにスケジュールをこなせている新人が抜けたらプロジェクトは破綻しますよ」
「そのことについては来月、外注を大量に雇ってアサインする、と決まっている。それで巻き返す予定だろう?」
「だーかーらー! その外注に指示するのは誰ですか! というか大量に雇うならそっちにアサインすりゃいいじゃないですか!」

八九寺さんが大声でわめいているおかげで、会議の内容が丁度会議室に近い場所にデスクがうつった新人くんにも筒抜けだった。

「ハハ、激しいですネ」

キムさんも苦笑いをする。
新人くんにとって気がかりだったのは、進捗が遅れていることについてだった。
つい最近知った社内サーバにあるスケジュール表――ガントチャートのExcelを開くと、そこには期日を過ぎて真っ赤になった工程ばかりだった。
2~3日遅れているどころの話ではなく、ほとんどの項目が一か月以上遅れている。
完成予定は11月。表によると10月からはテスト工程に入るから、もう純粋に開発できる期間は2か月を切っている。
来月に外注さんを雇ったとして、果たして間に合うのだろうか。

この時点で新人くんの残業は毎日2時間を超え、休日出勤も含めると月の残業時間は70を超えていた。
それでも、終わらない作業。増える業務。次から次へと問題が発覚し、他人のバグを直し、テストをし、コミットをする。
バグがバグを呼び、原因を辿りながら様々なソースを修正することで、ほとんどのソースコードの最終修正者が新人くんの名前で記入されていく。
更にはソースを読みこんで内部設計書とのチグハグを修正し、さかのぼって外部設計書を修正し、仕様書とのねじれを調整する、リバースエンジニアリングもこなす必要があった。

「外部設計書にデータベースのカラム名入れといて。分かりづらいから」
「内部設計書は誰がメンテしてんの? 新人? え? なんで?」

誰が何の作業をしているか把握していないチーム。
設計書が設計書としての体をなさないプロジェクト。

仕様の説明を受けておらず、ほぼソースコードから業務内容を推測する。
当然、現場を知らない新人くんには限界があった。
それでも、やらなければならない。すでにできるできないの話の段階ではなかった。

「新人ー、飯いかない?」

いつのまにか会議が終わったのか、八九寺さんが新人くんに声をかけた。新人くんがパソコンの中の時刻を見ると丁度12時だった。
新人くんは作業途中で保存し、席を立ちあがる。キムさんはいつも弁当だったので、新人くんは一人で外食するのが常だったが、こうしてたまに八九寺さんや藤堂さんに誘われて昼食をとることがあった。

「さっきの会議でさー、結構ゴネたんだけど、結局ウチのプロジェクトから一人取られることになってねー」

八九寺さんはそば屋に新人くんを連れていき、いつも頼んでいるかき揚げ丼セット(500円)を頼み、二人並んで立ち食いしながら話始めた。
それはアサイン会議のことについて。
聞こえてきた内容からは、自分が異動になる可能性が高いと思った新人くんは身構える。

「オタクが取られることになった。しかも明日からだよ。明日。ったくまだアイツの作業も中途半端なのに……」

オタク。同期の入社式遅刻男ことオタクだ。
新人くんとは別の場所で、彼もまた残業地獄で頑張っていた。風のうわさで聞くと、最近また遅刻が増えたらしいが、それでも猫の手も欲しい開発現場では失うのが痛手だった。

「しかも作業が客先でやることになるから、明日からアイツ出向だよ。東京のお台場だよ? お台場。あー、ぶっちゃけ代わりに行きたかったなー」

少しだけ羨ましそうに言って、八九寺さんはずるずるとそばをすする。

「んで、お前ら同期だし、送別会とかするかと思ってさ。一応先に伝えとこうかと」

送別会。聞くと、オタクはお台場に直行直帰をするため、月に一度程度しか会社に顔を出さなくなるらしい。
そうか。確かに。
そう思った新人くんは、送別会を開くかどうかを、会社に戻ってすぐ同期にメールで送ることにした。
と言っても、ヒョロナガは辞めた上、残った新入社員はV系と営業のムッツリぐらいだったので、送別会というよりも、食事会程度なら開いてもいいんじゃないか、という内容のメールをしたためた。

そして返信がくる。

V系  :やらなくてよくね?
ムッツリ:返信無し

――送別会は開かれなかった。

Posted by luini