とある新人のブラック就労記 その6
「ワタシ、キムです、よろしくネ」
そう言って笑顔で新人くんの手を握ったのは、中国人の金(キム)さんだ。
目が細く、顔が四角い。中華料理店でも経営してそうな、ステレオタイプの中国人、といった感じの人だった。
「キムさん、このPC使ってくださいね。セットアップ終わってますけど、開発用のソフトがまだインストールしてないんで、わからないことがあったらこの新人に聞いてください」
「わかりましタ」
「新人、今日からキムさんに教えてもらって。ウチらが開発してるJavaのフレームワークを開発したのがキムさんとこの会社だから、ウチに聞くより詳しく聞けるはず。デスクもこっちに移動だから、私物は移動しといて」
新人くんが別作業になった理由。
それは、OJT担当だった先輩社員があまり詳しくない領分まで新人くんの作業が進んだことが原因だった。
SQLの修正に始まり、SQLを呼ぶ部分のJavaのコード修正、帳票を出力する画面、画面を構成するJSPと呼ばれるHTML、JavaScriptを使ったページの修正、そのファイルの連携を支えるフレームワークの設定追加……と新人くんの業務はどんどん広がっていく。別に率先してそちらに手を出したわけではないが、気になる箇所を質問して、修正して、さらに気になる箇所が出てきて……とやっていくうちに、いつのまにか新人くんの担当になっていた。
八九寺さんを含む先輩社員はJavaのコーディングではなく、ストアドプロシージャ……データベースに近い部分でのコーディングが中心だったため、新人くんだけチームが別に分けられたのだった。
「アノ、プロパーさん、でいいんですよネ?」
プロパー。
聞きなれない単語に新人くんが首をかしげると、キムさんは自身の立場も含めて優しく説明してくれた。
・プロパーとは、その会社に雇われている正社員を指す言葉であること。
・逆にキムさん等の立場の人は外注さん、または外注と呼ぶことを禁止している会社ではパートナーさんと呼ばれることが多く、派遣会社を通じたり、協力会社から出向したり、色々なパターンがあるが、基本的には外部の人間であること。
・キムさんは新人くんが勤める会社から注文を受けてJavaのフレームワークを作成した会社の人間で、フレームワークの使い方や開発方法のアシストのために外注として雇われたとのこと。
「紛らわしいデスが、ここで言う『フレームワーク』というのは、私たちが作ったフレームワークのことデ、StrutsやSpringなどのフレームワークとはまた別の意味ですネ」
そんな丁寧な物腰で優しく教えてくれるキムさんの元、新人くんはモリモリと技術を吸収していった。
「サクラエディタ使ってるんですネ。短形範囲選択は使ってますカ? Altを押しながら範囲選択すると、行を超えて選択できますヨ。とても便利です」
「UTF-8はBOMという概念があるんデスよ。開発上は基本BOM無しが普通なんですけど、Windowsのメモ帳で保存しちゃうと勝手についちゃうカラ、気を付けてください。文字コードのバグってのは開発に付きモノですから、知識を付けておくとイイですヨ」
「なぜnewしてないのにインスタンスが使えるカ? ですか。このActionクラスというのはStrutsというフレームワークで管理してるからです。Actionと名前が付いているクラスはStrutsでインスタンスを生成していて、こちらのXMLにページやクラスの指定をしマス。そもそも、Mainクラスが無いでしょう? ここで使っているJavaのフレームワークは、サーバ起動時や、ブラウザからのリクエストに応じてインスタンスを生成するようにできているんです」
「そうでス。ServiceクラスはSpringフレームワークですネ。ActionクラスからServiceクラスを呼び、SQLMAPを用いてOracleにアクセスし、必要があればストアドプロシージャを呼び、戻り値をSQLMAPで拾い、Serviceクラスが結果を返し、Actionクラスがその返り値によって遷移先の画面を決める。これが基本的な流れですネ」
正直最初はなにを言っているのかさっぱりわからなかったが、そんな環境の中で一か月。
少しは理解できる程度に新人くんはそれなりに成長した。
毎日毎日が勉強。進捗が進まなくて辛い日もあったが、新人くんにとっては充実した日々でもあった。
「おっすー、新人、遅くまで残ってるね。大丈夫?」
その日はよくわからないバグに遭遇し、解決できずに残業して八時を過ぎていた。
同期とも別れ、ほぼ毎日キムさんと二人で開発していた新人くんは少しカタコトになった日本語で八九寺さんに挨拶を返す。
ちなみにキムさんは月に働ける時間が契約で決まっているので、ほぼ毎日定時で帰っている。
「これ差し入れ。甘いモノ、好きだったでしょ?」
甘いモノが好き、というエピソードを八九寺さんの前で披露した覚えは一つもなかった新人くんだが、断るのもおかしいのでお礼を言ってコンビニのレジ袋を受け取った。
中にはプリンが二つ入っていた。三つで一つのパックのやつで、封が切られている。八九寺さんが一つ食べて飽きたのでは。という邪推が新人くんの頭をよぎる。
「さっき鈴木がさー、お前はバグ製造機だ! って怒鳴ってさー。いやんなるねー。せめて同じ社員同士、仲良くしたいもんなのに」
八九寺さんは印象通りのおおざっぱな性格で、コーディングに統一性がなく、インデントもバラバラ。テストも雑でバグも多い。開発者として優秀とは言えない人間ではあった。
そんな八九寺さんを鈴木さんが怒るのも無理な話ではない。
八九寺さんは新人くんの隣、すでに帰宅したキムさんの席に座り、少し変わったタバコを咥える。
「あ、これ電子タバコだから社内で吸っても平気なんだ。単価が高いからあんま使わないんだけど、さすがに今の時間に喫煙所に行くと虫がねぇ……」
ヤダヤダ、と言いながら八九寺さんが吹かすと、タバコの煙よりも薄い、水蒸気とも呼べる煙が舞う。匂いも仄かで、ほんの少しだけミントの香りが漂った。
「で? 調子はどう?」
新人くんはキムさんが良い人で、色々とお世話になっていることを八九寺さんに話すと、彼女は嬉しそうに笑った。
「ふーん。そりゃよかった。じゃ、新人はまだ辞めない、と」
辞める?
突拍子もない単語が出てきたことに新人くんが驚くと、八九寺さんは本当に世間話でもするかのように、こう言った。
「あぁ、新人の同期のヒョロナガ、辞めたから。まー、三か月は持ったほうかなー。ぶっちゃけ、プログラミング経験ない人間が開発部に入ると、すぐ辞めちゃうんだよね。本人は面接のときに『未経験でも頑張ります!』っていうけどね。そりゃみんな言うだろ、ってウチはいつも人事の人に言ってんだけどさー」
――ヒョロナガが辞めた。
大して親しくもなく、ここ最近は顔すら見てなかったが、それでも、新人くんの心を大きく動かす事実だった。