とある新人のブラック就労記 その8
20××年9月某日。
朝一の会議。
キムさん、新人くんも含め、会議室Aに人が集まった。
中には八九寺さん、鈴木さんの他、新人くんの知らない人もたくさんいた。
彼らは今月から働くことになった外注で、新人くんの下につくことになるらしい。
アサイン会議で言っていた、大量に雇う外注、その人たちだった。
「えーと、説明は以上です。分からないことがあったら八九寺、鈴木、新人に聞いてください。では、解散で」
八九寺さんはそう言うと、タバコの箱を持っていち早く会議室から出て行った。
新人くんが入社して5か月経つが、新人くんはこの時初めて自分が関わっているプロジェクトの全貌を外注さんに説明する資料を通して知った。
八九寺さんが説明したプロジェクトの概要はこうだった。
・大手企業の食品部門。その部門の倉庫現場で使用する食料品管理Webシステムを作成する。
・そのシステムを一から作りつつ、社内で他の案件にも使いまわせるシステムの基盤も一緒に作る。
・期間は要件定義から現場導入まで一年ほど。11月末から順次現場に導入していき、2月頃には完了予定。
「実は平行して同じシステムを使う案件もあってな。そっちのほうが規模が大きいから、V系とオタクはそっちに移ることになった」
新人くんが他の新入社員が会議室にいなかったことを鈴木さんに聞くと、そう答えてくれた。
オタクだけだったはずでは……と新人くんが首をかしげると、鈴木さんはため息をつく。
「こっちのプロジェクトも火の車だが、あっちのプロジェクトのほうがもっとヤバいからな。基本的に大変な方に人は吸われる。といっても、こっちのプロジェクトに発言権の強い人がいないってのも大きな原因だけどな。あっちのプロジェクトの日野さんが強引すぎるのもあるんだが……。ま、お前が引き抜かれなかったのは不幸中の幸いだな。あの人、自分に従順にならなそうな奴は嫌いだから」
俺も含めてな、と鈴木さんは珍しく冗談を言って笑う。
冗談じゃないのかもしれないが。
「さてと、新人には泊まりの説明をしとかないとな。上の階、行くぞ」
そういわれて、新人くんは鈴木さんに連れられて階段を上り、上のフロアにある大会議室へと向かった。
大会議室は10畳くらいの広さで、プロジェクター用のスクリーン、大判のホワイトボードなど、大人数で会議できるよういろいろな設備が置いてある。
鈴木さんは大会議室の奥、机が閉まってある物置のような場所から、二つ折りにされたキャスター付きベッドを引っ張り出した。
「これはナガマルプロジェクトっていう、要するにデスマーチになったプロジェクトの時に買ったやつなんだがな、会社に寝泊まりするときはこれを使っていいことになってる。デスマーチは知ってるよな?」
新人くんは頷いた。
元は死の行軍という意味が転じて、無理なスケジュールを体を壊すような長時間残業を課して帳尻を合わせる力業。当然、うつ病になったり、体を壊したりと、実際に死人が出るかどうかはともかく、社会的に人が死ぬことが多い、というのはネットの噂。もちろん全くの絵空事ではないと思っていたが、それでも少しは誇張した表現だろうと新人くんは認識していた。
「ちなみにウチの会社では女子社員の泊まり込みは厳禁となってる。だから、八九寺は泊まれない。アイツも一応女だからな。んで、開発の実働部隊で、プロパーで、男……となると俺とお前の二人になるわけだ。この意味、分かるよな?」
新人くんは再び頷いた。
噂のデスマーチが、まさか入社一年目にして降りかかるとは。
「あと、ここで寝ると夏でも風邪ひくから、泊まるときは会議室Aに運び込んで使っていいぞ。それと、夜は11時過ぎるとビルが施錠されて一度出たら入ってこれなくなるから夜食とかの買い物はその前に済ませとけ。水道は止まらないからトイレは使えるが、ビルの共有スペースの電気は全部消灯されるから懐中電灯かなにかを持ってないとトイレの中真っ暗だから気を付けてな」
注意点はそれくらいだな、と鈴木さんは言い、ベッドをしまう。
「ちなみに、会社泊まりは手当が出ないが、ネカフェ(ネットカフェ)やカプセルホテルに泊まるのは経費で落ちる。タバコの匂いが嫌じゃなければネカフェのほうがいいかもな。あと近くに24時間営業のサウナ兼風呂屋もあって、そこの休憩所でごろ寝するのもオススメだ。そこは朝風呂に入れて気持ちいいしな。あぁ、ちなみにビジネスホテルも泊まれるが、さすがに値段が跳ね上がるから総務からお咎めが来る場合がある。深夜のシステム監視とかでどうしても泊まらないといけない場合は使えるが、残業するために泊まる場合は認められない場合が多い。だが、ネカフェは残業の場合でも必ず利用できる。それはなぜか?」
早口でまくしたて、鈴木さんはニヤりと笑う。
「――ネカフェを利用する名目は、休憩だからな。終電を過ぎて家に帰れず、仕方なく残業の合間に利用する休憩なら問題ない、というやつだ。領収書切るときは但し書きに『休憩のため』って書いてもらえよ? ネカフェ側も宿泊施設じゃないから、『泊まるため』っていう領収書は書けませんと言われる」
泊まり慣れているのか、その後も鈴木さんは濁った眼で色々と泊まり事情を新人くんに語った。