とある新人のブラック就労記 その2

20××年4月1日。
全然着慣れないスーツをなんとか頑張って着込んだ新人くんは、始業時間の三十分前に到着した。
ネクタイが微妙に曲がった状態のまま、新人くんはビルに入る。

――今日からここで働くのか。

〇県某市、10階建ての雑居ビルの5階。そこが新人くんが長い間働くことになるIT企業のフロアだった。
エレベーターを降りて深呼吸をし、ギークにしては明るくハキハキした声をあげ、新人くんは正面入り口のドアを潜り抜けた。

「おはよ、今日からよろしくね~」

入り口に一番近い席に座った女性が新人くんを見て笑顔で声をかける。桜井さん(仮名)である。
Fateは文学、AIRは芸術、CLANNADは人生であった新人くんは正直三次元の女性に興味がないので、美人かどうかはわからないが、親切で柔和な人には違いなかった。

新人くんは言葉を噛みながらも挨拶を返す。

「新入社員のみんなが集まったら入社式やるから、時間までこっちの会議室で待っててね」

桜井さんに笑顔でそういわれて社内に案内される。通されたのはパーティションで区切られた会議室A。会議室の中では比較的広いほうで、のちのデスマーチで簡易ベットを置く仮眠室となるのはまた別の話。

中には新人くんの他、新入社員が二人いた。
一人は背丈の高い、ヒョロナガの男。180cmはあるかもしれない。仮にヒョロナガとする。
もう一人はきっちりスーツを着こなした中肉中背のメガネの男。凄いムッツリスケベっぽい雰囲気があった。仮にムッツリとする。

敬語を使うべきかどうか迷ったが、明らかに新入社員っぽい挙動だし、舐められても困ると思い、新人くんはなけなしの勇気を振り絞りタメ口を使う。
二人とも内定式にいたから面識はあるはずだが、新人くんは人の顔と名前を一度会っただけで覚えられないので、数度しかあったことがない人はほぼ初対面と同義なのである。

「おー、おはよ」
「おはよーさん」

二人からとてもさわやかなリア充オーラの波動が放たれており、スクールカースト下から二番目の新人くんは体に刻まれた奴隷の証が疼くが、なんとか我慢して新人くんは会釈を返す。

――あー、名前なんだっけ。まぁいいや、お前、シャー芯くれない?

苦い記憶がよみがえりそうになり、新人くんは目を逸らして深呼吸をした。

「ん、座んないの?」
「こっちこっち、確か新人くんだよな?」

ヒョロナガがパーソナルスペースガン無視で接近し、自分の隣に新人くんを座らせる。ムッツリはそれを見て笑い、表面上は場が和んだ。
同期としてやっていく不安を抱えながら、新人くんは頑張ってヒョロナガとムッツリに改めて自己紹介をする。

ヒョロナガは専門の出らしい。年齢は新人くんより一つ下で、パソコンは詳しくないとのこと。
なんの専門学校だったかは理解できなかったが、総合職業訓練校のようなところ、というニュアンスだけは理解できた。(いわゆるものつくり学校)

なぜパソコンに詳しくないのにIT企業に入ったのか、そんな疑問を浮かべた新人くんだが、口にはしなかった。これから同期としてやっていくんだし、仲良くしないと。という、『働く上で一番の問題は人間関係である』という就活サイトのコラムを思い出し、自身が問題の種とならないよう、新人くんは作り笑いを浮かべた。

ちなみにヒョロナガは開発部所属。新人くんとは同部署だ。

「あー、俺はね、H大卒なんだ」

ムッツリはいわゆる東京六大学の一角の出だった。しかし、文系がなぜ? と思った新人くんの考えがわかったのか、ムッツリは笑いながら所属部署が営業であることを明かした。
なるほど、なんとなく、開発部には向かないと思ったが、そういうことか。ムッツリはヒョロナガとは気が合うらしく、新人くんそっちのけで二人でかみ合わない会話をしはじめる。

居場所がなくなった新人くんはぼっちのスキル、「自分にはおかまいなく、お二人で話しててください」オーラを出し、時計を凝視した。

「失礼しまーす」

時計を数え始めてから丁度2分と25秒後、会議室の扉が開き、ヴィジュアル系――いわゆるV系バンドをやってそうな青年が入ってきた。

「おー、久しぶり。こっち座っててだってさ」

ヒョロナガが声をかける。知り合いか? と新人くんが首をかしげるが、どうやら内定式の後の懇親会でそれなりに会話をしたらしい。

懇親会! そういうのもあったのか! と新人くんは思ったが、いつものことなので黙っていた。

V系は四年制の大学卒で、専門はバリアフリーの環境構築らしい。パソコンはExcel程度なら使える、とのこと。

「じゃー、そろそろ時間だから、上に移動してね」

V系の自己紹介が終わると同時に桜井さんが顔を覗かせた。どうやら入社式は別のフロアでやるらしい。

桜井さんの話では5階と6階が会社のフロアであり、5階が作業、会議室のオフィス、6階が集会や大規模の会議、来客対応の応接室となっているらしい。

「あと一人くるんだけど、遅刻してるみたいだから、とりあえず四人で入社式やるね」

――ち、遅刻!?

声には出さないが、新入社員一同は全員顔を見合わせた。

――これから、上手くやっていけるのだろうか……。
そんな一抹な不安が新人くんを襲った。

Posted by luini