とある新人のブラック就労記 その3
「んじゃ、今日から開発部の新入社員四人は、この作業をやってね」
20××年四月某日。
新人くん、V系、ヒョロナガ、そして入社式に遅刻した男――見るからに二次元オタクな感じ――の四人は、オフィスの片隅で、古いノートPCを手渡され作業の説明をされた。
「わからないところがあったら、この先輩社員方に聞いてね。一応、OJTとして一人一人につくから、安心してください」
※OJTとはOn Job Trainingの略で、実際の業務を通じて社員教育をすること。主に「簡単だが実際に客に卸す仕事」を新入社員に振りつつ、先輩社員がその新入社員の出来や気づき、報告を逐次確認する教育手法である。
こうして、開発部の新入社員四人はこれから開発を共にする先輩方と対面した。
新人くんに付いたOJTの先輩社員は八九寺さん(仮名)。細かいことは気にしない性格の女性で、ギャンブル好きのタバコ飲み、たまにふらっと海外旅行で連日有給を取る、という自由人だった。年は新人くんの三つ上。三年先輩の社員だ。
「おー、新人くん、よろしくねー」
三年前の今頃は自分と同じ立場だったとは思えないほどの貫禄を持つ八九寺さんから指示された作業は、以下のものだった。
・工場で使う帳票(いわゆる庫内作業用の指示書)のレイアウトの修正
・フォントサイズを全体的に1サイズ下げ、罫線の太さがバラバラなので0.8ptに統一
――新人くんの初仕事が始まった。
もとより個人での作業は得意であり、その上自分の土俵であるパソコンでの業務。
斜めに動かしづらいボール式のマウスを操り、新人くんは淡々と指示された作業をこなす。
「なあなあ、これってどういうこと?」
しばらく無言で作業をしていると、隣に座っていたヒョロナガが新人くんに質問した。
チラリと彼の担当であるOJTの先輩を見たが、先輩は先輩で忙しそうだ。
――これは、おそらく、たぶん。
そんな単語を用いながら、新人くんはヒョロナガの直面している問題を一緒に考える。
自分も教えてもらっている身だから、自信はないけど……。そう枕詞を付けながら、新人くんは丁寧に説明した。
「なーるほど、わかったわ」
その言葉の数分後。
「なあなあ、これってどういうこと?」
ヒョロナガが先ほどと全く同一の言葉で新人くんに質問する。またもやOJTの先輩は忙しそうで、新人くんは自分が教えていいのか、と考えつつも作業を指導した。
「これは?」
「なあなあ、新人、これどうすんの?」
「新人ー、たすけてくれー」
「パソコンなにもしてないのに動かなくなったんだけど、新人なおしかたわかる?」
それからはもう、なし崩し的だった。
なぜか新人くんが新入社員の質問箱のような存在になり、一人一人隣にいっては一緒に考え、「こうこうこうすればいいのではないか」と提案する。
「なーなー、新人ー、これどうすりゃいいの?」
しまいには先輩であるはずの八九寺さんにも質問されるようになった。
「おいおい、お前が聞いてどうすんだよ」
それに苦言を呈したのはヒョロナガのOJT担当、鈴木さん(仮名)だ。ヒョロナガよりは肉付きは良いが長身痩躯のメガネをかけた男性。八九寺さんとは同期、という情報しか知らない。
「いやだってさー、ウチがこの作業入ったの先週だよ? わかるわけないでしょ」
「だからって新人に聞くことはないだろ。少しは自分で考えろ、リファレンスを見ろ」
「あーあー、鈴木はうっせーなー。いーじゃないかよー、この島じゃウチらが一番上なんだから」
島、というのは同じ作業をするメンバーが集まったデスクのことだ。オフィスには部署の中で複数島があり、島の中で一番年長者か役職が上の人間がリーダー、というのが暗黙の了解らしい。
新人くんが所属する島のデスクは全部で8つ。新入社員4人とそれぞれのOJT担当の先輩社員4人。先輩社員4人は全員三つ上で、同期同士らしい。技術の高さから、業務の指導という面でのリーダーは鈴木さんだが、一日の進行や、担当を決めるリーダーは声が大きくスパスパと決断する八九寺さんだった。
「で、新人ー、ここどうやるのー?」
新人くんは鈴木さんの無言の圧力に耐えながらも、八九寺さんに帳票の修正方法を提案する。
――この空気、辛い……。
新人くんはこの日、残業を二時間ほどした。